【成功者の男に女の影あり】内助の功で男を成功に導いた歴史上の”妻たち10人”

歴史上の指導者には、必ず成功者へと導いた女性たちの影があります。
時に、表に出ることもある妻たちですが、そのほとんどは裏で男性を持ち上げています。
今回は、そんな歴史上、世に影響を与えた成功者の「縁の下の力持ち」と言われる女性たちの内助の功10人をご紹介します。

豊臣秀吉の正妻「ねね」

豊臣秀吉と言えば、日本で一番のサクセスストーリーを達成した人物として有名です。
農民から織田信長の家臣となり、さらには太閤になった日本の戦国時代の出世頭です。

そんな秀吉には、まだ貧しい時代から正室だった「ねね」がいました。
ねねは、当時の秀吉よりも身分が上でしたが、戦国では珍しい恋愛結婚をして一緒になったと言います。
豪気な気質で良き妻である反面、織田信長や徳川家康とも交流がありました。

つまり、大物とのコミュニケーションを正妻であるねねが取っていたことで、秀吉も支えられていたのです。
ねねと仲良くしていた頃の秀吉は、成功者として実績を上げました。
しかし、ねねとの間に子供はおらず、後年になって淀君をはじめ側室を大勢集めるようになると、少しずつ他の戦国大名に不満が渦巻くようになったと言います。

ねねは秀吉を成功者に導いた女傑として、秀吉や豊臣家が亡くなっても、徳川家康の庇護の元に長生きしたと言います。

ナポレオンの最初の妻「ジョゼフィーヌ」

フランス革命を終わらせて、フランスに帝政を始めたナポレオン。
最初の妻ジョゼフィーヌが、ナポレオンを成功者として導いたとして有名です。

彼女は年上で一度結婚をしたことがありましたが離婚して、未亡人となっていました。
社交界でも、そのエキゾチックな美貌から注目の人物だったジョゼフィーヌはナポレオンの妻となります。

ジョセフィーヌは、結婚後に次々と戦功を挙げるようになったナポレオンの「勝利の女神」と呼ばれるようになりました。

しかし、ナポレオンがオーストリアと和解する為に、オーストリア皇女との政略結婚を選んだ結果、二人は離婚。

ジョセフィーヌは離婚後もフランス皇后の称号は与えらえたままでしたが、ナポレオンはその後失脚して死亡します。
これには、「ジョゼフィーヌの人望をないがしろにしたからだ」と言う説もあります。

初代ローマ皇帝の妻「リウィア」

カエサル(シーザー)の甥の初代皇帝アウグストゥスの妻のリウィアは、貞節な妻として夫を成功者に導いた女性として知られています。

古代ローマは「共和政」で、それを帝政へ移行しようとさせたカエサルを元老院が暗殺した事件がありました。
その後、皇帝になると言う難事を支えたのが、リウィアです。

夫はカエサルのように暗殺することもなく、上手く人間関係を円滑にしたり、根回しをして皇帝の座を盤石にしました。
その背景には強力な軍事力もありましたが、妻であるリウィアの協力もありました。
そして、ローマはこの後に帝政時代を長年謳歌して発展します。

リウィアは、もともと有力な共和政の元老院に所属する人物の妻でしたが、夫公認でアウグストゥスと結婚しています。
つまり、カエサルを殺した元老院の有力人物の妻をめとったのです。
結婚式には、元夫が付き添った程です。

離婚してアウグストゥスと結婚するのに、元夫が付き添う程に人間性が立派だったと言うリウィアは、祖国の母と呼ばれて、夫を成功者に導いた女傑として有名になったのです。

源頼朝の正室「北条政子」

鎌倉幕府を開いた源頼朝には、成功者として導いた女性として正室の北条政子がいます。
流刑になっていた頼朝の監視役として選ばれた北条家の娘「政子」。
頼朝よりも高い身分であったため、一族に反対されながらも恋愛結婚を果たします。

その後、北条家の力を得た源頼朝は多くの戦勝を挙げて「鎌倉幕府」を成立させます。
この影には、北条政子が実家と手を合わせて、相当の汚れ仕事をしたと言われています。

政敵の抹殺や陰謀も絶えなかったので、一般には悪い意味でも恐妻のイメージがあります。
しかし、実際は源頼朝の権力を強化して、反対勢力を一掃したのです。
このおかげで、難しい時代に武士の政権を樹立したのでした。

野口英世の妻「メリー・ロレッタ・ダージス」

医学研究者として名高い野口英世ですが、その影には1歳年上の姉さん女房となるメリーの存在がありました。

野口英世は、巷でよく言われる優秀なビジネスマンの見本のように「よく遊び、よく仕事をする」人間でしたが、それは人よりも極端なものでした。
研究するときは没頭し、遊ぶ時も集中して遊ぶタイプ。
いつ眠っているのか分からないほどだと言われています。

そんな英世の性格を知っていたメリーは、ときどき酔っぱらったふりをして英世を投げ飛ばしていたそうです!
そうして我に返った英世は再び研究に励みはじめるのでした。

メリーに医学の知識と興味がないのも幸いし、研究する時は研究室から出ないようにお願いしていました。
そのおかげで、英世も集中力を保ったまま研究に没頭することができたのです。

生前だけでなく、英世の死後も良妻ぶりは続きます。
なんと夫の遺言に従い、野口家の一族、英世の恩人に生涯仕送りを続けたのです。
当時は珍しかった国際結婚には人知れず苦労もあったと容易に推測できますが、遺言とはいえ英世の想いを受け継いだメリーの愛情は計り知れませんね。

リンカーンの妻「メアリー・トッド・リンカーン」

言わずと知れたアメリカの第16代大統領「ルーズベルト・リンカーン」ですが、その妻である「メアリー・トッド・リンカーン」が恐妻として有名なのはご存知でしたか?
気性が激しくヒステリックで、時にはホウキや棒で殴りかかったりナイフを持って追いますことも!

そんなメアリーを「悪妻」だと評する声がありますが、影では立派に夫を支えていました。

メアリーはケンタッキー州では名門のお嬢様。
高い教育を受けていた彼女は、当時「女は政治に口を出すものではない」という風潮をあざ笑うかのように、野心的に自分の夢をリンカーンに託しました。
社交場でもリンカーンより目立ち、パワフルな社交術で「夫の役に立ちそうな人物」に自ら近づくことも珍しくありませんでした。
そんなメアリーのパワフルさに、夫であるリンカーンは辟易していたといいます。

そしてリンカーンといえば、あまりにも有名な「奴隷解放宣言」です。

実はお嬢様だったメアリーの一族も奴隷を雇っていました。
当初は「奴隷“拡大”反対」を掲げていたリンカーンですが、メアリーも夫同じく反対派回り「拡大反対」ではなく「奴隷制度の“廃止”」を訴えます。

これも、夫が掲げる目標を明確にさせるための手段でした。
夫が国民から支持されるために、自分ができることを何でも受け止めてきたメアリー。
恐妻でありながら、意志の強いメアリーに支えられて成功を掴んだリンカーン。
暗殺されるその日まで添い遂げた二人の絆は強かったのです。

諸葛孔明の妻「黄夫人」

三国志でも有名な天才軍師と名高い諸葛孔明。
しかし、「孔明の嫁選びを真似るなかれ、醜い娘をもらうはめになるぞ」ということわざが生まれるほど、美人とは言い難いルックスの「黄夫人」。

なぜ孔明は彼女を選んだのでしょうか。

世間でも孔明の天才的な軍師としての働きは有名でした。
そんな中、「赤毛で肌の黒い女だが、頭脳は君と釣り合いが取れる」と、黄夫人の父が自ら娘を孔明に紹介したのです。

孔明が挨拶に行くと、扉を開けたところに2匹の獰猛な犬がとびかかり、孔明を驚かせました。
女中がすぐに犬の頭を叩きおとなしくさせます。
よく見ると、それは精巧に作られた「からくり人形」。
そう、このからくり人形こそ、黄夫人の発明品だったのです。

発明の才能があった黄夫人。
結婚してから、孔明が突然多くの客人が訪れても待たせることなく食事の支度をしていたといいます。
台所を見に行くと、黄夫人はからくり人形に料理の手伝いをさせていたという逸話もあります。

実は、孔明が考案したと言われている、物資運搬用の手押し車の「木牛」も黄夫人の発明だったのではという説もあるほど。
発明だけでなく、疫病に備えて薬を調合するなど、持ち前の器用さでしっかり孔明を支えていたのですね。

マーク・ザッカーバーグの妻「プリシラ・チャン」

フェイスブックの創業者でもあり、実業家のマーク・ザッカーバーグ。
妻は9年の交際期間を経て結婚した中国系アメリカ人の「プリシラ・チャン」。
マークの家で行われたパーティーでトイレの順番待ちをしている間に二人は意気投合し、交際をはじめました。

聡明なプリシラは交際をはじめてからも、「デートは週に一度。二人だけの時間を最低100分持つこと。デート場所は彼の自宅、フェイスブックのオフィス以外の場所」と契約書にサインさせるほど。
お互いの時間を尊重しながら、必ず二人の時間を設けるための契約ですが、しっかり者のプリシラらしいエピソードです。

さらにプリシラは、「フェイスブックで働かない?」というマークの誘いを断り、小児科医になるための勉強をはじめ、今では小児科医として働いています。

自分の夢を叶え、病院で働くプリシラは「臓器提供」の大切さに気づき夫に相談します。
プリシラの医者としての熱い思いを受け止めたマークは、フェイスブック上で臓器提供の意思表示ができる機能を追加しました。

そしてついに「チャン・ザッカーバーグ・イニシアチブ」という慈善事業を立ち上げ、マークが保有するフェイスブックの自社株99%を生涯にわたって寄付すると発表したのです!

芯の強い女性であるプリシラとともに、より良い世界を作ろうとしていく夫婦の姿に女性として憧れる人も多いようです。

山内一豊の正室「見性院」

日本の慣用句としてお馴染みの「内助の功」という言葉は、この「見性院」が夫の出世を助けたという話から生まれたといわれています。

夫である山内一豊が、当時の君主であった織田信長が開く「京都御馬揃え」に酸化することになりました。
京都御馬揃えは、今でいうところの軍事パレードのようなもの。
天皇が招待され、織田軍団の各軍を総動員し、それは天下掌握を内外に知らしめる
大規模なものでした。

山内一豊もこの馬揃えに参加することになります。
そのとき、名馬を売りに来ていた商人が連れていた「鏡栗毛」に目が留まります。
商人もあまりに高いので売れないだろうと思っていましたが、一豊が購入したのです。

浪人の身でありながら名馬を買えたのは、見性院が嫁入りの持参金として蓄えていたお金を一豊に渡したからでした。

当時の馬の大切さを知っていた見性院の決断力が身を結び、馬揃えで一豊の名馬を見た信長は加増を決め、夫の面目を施させました。

見性院はほかにも、経費を出すために女の命ともいえる髪を売ったという逸話もあり、良妻賢母の見本として語り継がれています。

松下幸之助の妻「松下むめの」

経営の神様との異名を持つ松下幸之助の妻「松下むめの」。
優しさと厳しさを兼ね備えた聡明な女性でした。

むめのが19歳のときに幸之助とお見合い結婚をしてから、生涯添い遂げることとなります。
松下電器の創業当時は、経理や事務の仕事をすべて引き受け、さらには社員教育もしていました。
住み込みで働く従業員のために食事の支度をしたり、二人の子どもの世話をするなど、ビジネスの表舞台で活躍する夫を後ろからしっかり支えていました。

松下電器が経営難に苦しんだときも、多くの幹部がリストラを進言したにも関わらず、むめのは断固として反対。
「住み込みで一緒に毎日を過ごしてきた店員を切ることなど、絶対にしてはなりません!」と一喝したのです。
その言葉を受けた幸之助は「一人たりとも、社員を解雇してはならない。給与も全額支給」と決断します。

後年のインタビューで、幸之助はむめののことを「どのような女性か」と聞かれると「負けん気が強く、あまり人前で涙を流すこともなく、ちゃんと自分の主張を通す人」と答えました。
幸之助は、仕事でトラブルが起きたときはむめのに交渉に行かせることもありました。
合理的でしっかり者だったむめのを信頼していた証ですね。

松下むめのは、現代における見性院のような女性ともいえるでしょう。

いかがでしたか?
歴史の成功者の影には、縁の下で支える心強い女性たちの姿がありました。
現在の仕事をする私達の身近にも、そんな「内助の功」があるのではないでしょうか。
自分の力になってくれる女性をしっかり掴まえれば、あなたも成功者の仲間入りが出来るかも知れませんよ。

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この記事のライター
中村さゆり
中村さゆり
旅行や新作グルメに興味があります。最近は、ファッション雑誌を定期購買するのが趣味です。
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