「GUNZE(グンゼ)」の歴史・社是から学ぶビジネスマンの心得
創立から100年以上経った今でも、日本男児から愛されている下着メーカー「GUNZE」。
しかし、グンゼは肌着だけでなく、食品業界や医療業界でも活躍していることはご存知ですか?
グンゼが多岐に渡って事業を広げている理由を紐解くには、グンゼの歴史を辿る必要があるようです。
ここでは少しだけ、その歴史に触れてみたいと思います。
しかし、グンゼは肌着だけでなく、食品業界や医療業界でも活躍していることはご存知ですか?
グンゼが多岐に渡って事業を広げている理由を紐解くには、グンゼの歴史を辿る必要があるようです。
ここでは少しだけ、その歴史に触れてみたいと思います。
創業100年以上もの歴史を持つ老舗メーカー「グンゼ」の出発点
グンゼは、今から遡ること100年以上昔、波多野鶴吉によって創業されます。
創立時の社名は、「郡是製絲(ぐんぜせいし)株式會社」。
当時は国家事業としても注力されていた養蚕業。
養蚕業が盛んだった京都の何鹿郡(現京都府綾部市)に官僚の前田正名氏が訪れ、「今日の急務は国是・県是・郡是を定むるにあり」と演説しました。
「郡の是」は「郡の方針」のこと。
これを聴いた波多野氏は感銘を受け、蚕糸業の振興を目的として「郡是製絲」を立ち上げたのです。
創立時の社名は、「郡是製絲(ぐんぜせいし)株式會社」。
当時は国家事業としても注力されていた養蚕業。
養蚕業が盛んだった京都の何鹿郡(現京都府綾部市)に官僚の前田正名氏が訪れ、「今日の急務は国是・県是・郡是を定むるにあり」と演説しました。
「郡の是」は「郡の方針」のこと。
これを聴いた波多野氏は感銘を受け、蚕糸業の振興を目的として「郡是製絲」を立ち上げたのです。
粗悪品と評された京都の生糸。酷評からの脱却に必要だったもの
波多野氏は元々小学校の教員でした。
当時、養蚕農家の子供たちが劣悪な環境で暮らしていることを目の当たりにします。
そしてそれは、東京上野ので開催された品評会において「京都の繭と生糸は粗悪品」と酷評されたことにも繋がります。
波多野氏は生前、「善い人が良い糸をつくる」という名言を残しています。
調べてみると、円満な家庭を持つ人ほど、良質な繭を作っていたことを知ったのです。
そんな言葉を裏付けるように、波多野氏は養蚕伝習所を開いて人間尊重に立った教育を行い、さらに養蚕家の指導にあたらせたのです。教育は、ただの事業に関する手段だけではありません。何よりも、従業員に対して愛情を持って接し、幸福であるように願い、教え導くことだと言います。
つまり、この金言には「ただお金をもらってるから働く」のではなく、家族のため、会社のため、真心をもって働くことが大切だということ意味が込めれらていたのです。
当時、養蚕農家の子供たちが劣悪な環境で暮らしていることを目の当たりにします。
そしてそれは、東京上野ので開催された品評会において「京都の繭と生糸は粗悪品」と酷評されたことにも繋がります。
波多野氏は生前、「善い人が良い糸をつくる」という名言を残しています。
調べてみると、円満な家庭を持つ人ほど、良質な繭を作っていたことを知ったのです。
そんな言葉を裏付けるように、波多野氏は養蚕伝習所を開いて人間尊重に立った教育を行い、さらに養蚕家の指導にあたらせたのです。教育は、ただの事業に関する手段だけではありません。何よりも、従業員に対して愛情を持って接し、幸福であるように願い、教え導くことだと言います。
つまり、この金言には「ただお金をもらってるから働く」のではなく、家族のため、会社のため、真心をもって働くことが大切だということ意味が込めれらていたのです。
確かな技術で確固たる地位へ!海外でも注目された京都の生糸
創業者の鶴吉は、海外へ積極的に生糸の輸出を行いました。
鶴吉が奨励し、何鹿群で作られた生糸は海外諸国からも質が良いと評価され、たちまち人気を得ることとなりました。
精良優美な生糸作り、優良品の生産を貫き通した結果、1900年には、あの夏目漱石も訪れたというパリ万国博覧会においてグンゼの生糸が金牌を受賞するまでになります。
鶴吉が奨励し、何鹿群で作られた生糸は海外諸国からも質が良いと評価され、たちまち人気を得ることとなりました。
精良優美な生糸作り、優良品の生産を貫き通した結果、1900年には、あの夏目漱石も訪れたというパリ万国博覧会においてグンゼの生糸が金牌を受賞するまでになります。
海外への輸出で成長していく品質と事業
博覧会の翌年、アメリカの織物業者スキンナー商会が「郡是」の作る良質な糸を一手に買い受けるようになると、郡是の商品に品質保証の証であるタグをつけて販売。
世界有数の織物業者だったスキンナー商会は品質に厳しかったため、何度となく日本へ品質改善を求めにきました。
これによって、さらに品質を向上させて業績を伸ばし、どんどん拡大していくこととなります。
この頃からの知名度や評判が現在にも繋がっているようです。
品質価値が高く評価されたことは、誠実、真剣に仕事に取り組む職人文化である日本ならではですね。
世界有数の織物業者だったスキンナー商会は品質に厳しかったため、何度となく日本へ品質改善を求めにきました。
これによって、さらに品質を向上させて業績を伸ばし、どんどん拡大していくこととなります。
この頃からの知名度や評判が現在にも繋がっているようです。
品質価値が高く評価されたことは、誠実、真剣に仕事に取り組む職人文化である日本ならではですね。
廃れる養蚕業、拡大していく合成繊維製品の需要
戦後まもなく、郡是ではメリヤス肌着が誕生します。
機械を使って織った伸縮性のあるメリヤス肌着として人気を集め、戦後の物資不足によって粗悪品も横行するようになったものの、品質第一主義を貫いた郡是は東京の大手百貨店においても好評を博すようになります。
昭和初期になると、アメリカでは合成繊維であるレーヨンの生産量が拡大。
化繊の需要拡大と、戦後、養蚕業の縮小から、生糸の生産は一層下火となり、輸出にも影響を及ぼすようになった郡是も、1987年には生糸製品から完全撤退してしまいます。
しかし、その裏では生糸を製品化することで需要喚起をするため、ファッション靴下の製造に着手しはじめます。
そしてその後、郡是の織物技術は他業界でも活躍するようになっていくのです。
機械を使って織った伸縮性のあるメリヤス肌着として人気を集め、戦後の物資不足によって粗悪品も横行するようになったものの、品質第一主義を貫いた郡是は東京の大手百貨店においても好評を博すようになります。
昭和初期になると、アメリカでは合成繊維であるレーヨンの生産量が拡大。
化繊の需要拡大と、戦後、養蚕業の縮小から、生糸の生産は一層下火となり、輸出にも影響を及ぼすようになった郡是も、1987年には生糸製品から完全撤退してしまいます。
しかし、その裏では生糸を製品化することで需要喚起をするため、ファッション靴下の製造に着手しはじめます。
そしてその後、郡是の織物技術は他業界でも活躍するようになっていくのです。
流行が生み出した副産物!?需要拡大によって広がった事業
ミニスカートの流行に伴って需要が拡大したパンティストッキングや、定番の人気商品であったメリヤス肌着や靴下など、生産性が大きく向上するとともに、包装フィルムも開発、生産していたグンゼ。
アパレル産業が成熟期に入ると、今度はプラスチック製品の開発が検討されるようになります。
世界で初めてカラーコピー用転写ベルトを開発したグンゼは、複合機業界において革新をもたらしただけでなく、高機能タッチパネルの開発もしているのです。
アパレル産業が成熟期に入ると、今度はプラスチック製品の開発が検討されるようになります。
世界で初めてカラーコピー用転写ベルトを開発したグンゼは、複合機業界において革新をもたらしただけでなく、高機能タッチパネルの開発もしているのです。
郡是の織物技術がもたらした医療業界への貢献
1984年になると、京都大学医用高分子研究センターを核としたプロジェクトメンバーとして、生体吸収性ポリマーによる医療器材の研究に参加し、日本で初めて「体内で分解吸収される手術用吸収性縫合糸の事業化」を成功へと導いたのです。
これは、医療材料がフィルム状のものよりも編成品の方が適していることが分かったことがきっかけ。
グンゼがアパレル事業で作っていた靴下やストッキングなど、「円筒状に編み上げる技術」に長けていたことが成功への近道となったのです。
これは、医療材料がフィルム状のものよりも編成品の方が適していることが分かったことがきっかけ。
グンゼがアパレル事業で作っていた靴下やストッキングなど、「円筒状に編み上げる技術」に長けていたことが成功への近道となったのです。
誰もが知っているプラスチック製品にも実はグンゼの技術が。
飲料用のペットボトル、ガスバリア(酸化腐敗防止フィルム)や耐ピンホール(穴が開きにくい)、お菓子の食品用包装フィルム。洗剤が入ったトイレタリー用品などのボトル。
プラスチックの技術開発が進んで、今では誰もが一度は手にしたことのあるプラスチック製品の開発、生産も手掛けています。
全てはストッキング製品を包装するパッケージ開発が起点となり、食品、デジタル、医療業界など、様々なシ場面でグンゼの技術を私たちは目の当たりにしているのです。
プラスチックの技術開発が進んで、今では誰もが一度は手にしたことのあるプラスチック製品の開発、生産も手掛けています。
全てはストッキング製品を包装するパッケージ開発が起点となり、食品、デジタル、医療業界など、様々なシ場面でグンゼの技術を私たちは目の当たりにしているのです。
多岐にわたる事業もすべては社会貢献のために
これまで多岐に渡って様々な事業展開をしてきたグンゼですが、私たちが一人の消費者としてグンゼを語る時、多くの人たちは肌着メーカー、繊維業界というイメージが大きいと思います。
しかしグンゼは、人の生活に関わる「衣食住」だけに留まらず、医療や環境緑化へと活躍の場を広げています。
いろんな分野に事業を広げ過ぎなのでは?
もっと的を絞った分野で事業をしたほうがいいのでは?と思うかもしれません。
郡是は「郡の是」、つまり「郡の方針」です。
何鹿郡の発展を目的としてはじめた事業の一つが「蚕糸業」であったとすれば、今、日本の産業を支えるため、日本の産業振興のために、多岐にわたる事業展開をしたのだとすれば納得ですよね。
しかしグンゼは、人の生活に関わる「衣食住」だけに留まらず、医療や環境緑化へと活躍の場を広げています。
いろんな分野に事業を広げ過ぎなのでは?
もっと的を絞った分野で事業をしたほうがいいのでは?と思うかもしれません。
郡是は「郡の是」、つまり「郡の方針」です。
何鹿郡の発展を目的としてはじめた事業の一つが「蚕糸業」であったとすれば、今、日本の産業を支えるため、日本の産業振興のために、多岐にわたる事業展開をしたのだとすれば納得ですよね。
グンゼの社是から学ぶ社会人の心得
グンゼの社是の中に、「優良品の提供に徹し、社会に貢献する」というものがあります。
創業者である波多野鶴吉氏は生前、「『世の中のため』という荷を加える」という金言を残しています。これは、ただ「会社のため」と一つの目的だけで働いていれば苦しいことも、世のため、つまり「社会貢献のため」と二つの目的を持つことでバランスが取りやすくなるという意味。
そして「善い人が良い糸をつくる」という名言と同様に、「優良品の提供に徹する」ということは自分自身が成長するためでもあるのです。
自分自身の成長。それは善い人格、家庭円満を心がける、研究心を持つ、勤勉であるなど、グンゼ社員だけでなく、多くのビジネスマンにとっても大切なこと。
社会貢献という大義の下、日本における様々な業界でその技術を先駆けたグンゼの事業や研究は、ビジネスマンとして今後も注目していきたいですね。
創業者である波多野鶴吉氏は生前、「『世の中のため』という荷を加える」という金言を残しています。これは、ただ「会社のため」と一つの目的だけで働いていれば苦しいことも、世のため、つまり「社会貢献のため」と二つの目的を持つことでバランスが取りやすくなるという意味。
そして「善い人が良い糸をつくる」という名言と同様に、「優良品の提供に徹する」ということは自分自身が成長するためでもあるのです。
自分自身の成長。それは善い人格、家庭円満を心がける、研究心を持つ、勤勉であるなど、グンゼ社員だけでなく、多くのビジネスマンにとっても大切なこと。
社会貢献という大義の下、日本における様々な業界でその技術を先駆けたグンゼの事業や研究は、ビジネスマンとして今後も注目していきたいですね。
最近は、男女がフェアに働ける会社の仕組みづくりを本格的に始動するなど、次々と新たな取り組みを実施しています。
グンゼの歴史は「社会貢献」にあり、と言っても過言ではありません。
昨今の社会問題となっている「女性が働きやすい社会」を作った先駆者としても、またグンゼの名が広がりそうですね!
グンゼの歴史は「社会貢献」にあり、と言っても過言ではありません。
昨今の社会問題となっている「女性が働きやすい社会」を作った先駆者としても、またグンゼの名が広がりそうですね!
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この記事のライター
浅田ちひろ
3年一般企業で務めたあと、フリーライターに転身しました!
トレンドを中心にいろんな情報を発信していくので、よろしくお願いします♡
出身:千葉
好きなもの:ネコ
苦手なもの:コーヒー